リモナイトの地質
リモナイトの誕生
九州・熊本が世界に誇る大自然、世界最大級のカルデラ阿蘇山はおよそ27万年前から14万年前、12万年前、9万年前と大噴火を経験しました。これらの噴火により地下のマグマだまりが空洞になり地盤が沈下し、カルデラが出来上がりました。後にカルデラ内には雨水がたまり、大きな火口湖が作られました。
火口湖にはたくさんのミネラル成分を含んだマグマや植物などの有機物が蓄積され、水中で分離分解されました。この中でも鉄分を多く含む成分が、リモナイトとして阿蘇・狩尾一帯に堆積しました。
後に火口は干上がり、現在の姿になりました。地下から湧き上がる水は鉄分を多く含み、地上で空気に触れると、やがて水と鉄分が分離し始め沈殿していきます。地下水の噴出と堆積を繰り返すことでリモナイトが絶えず生み出されています。
水からできている鉱物
リモナイト成因は水と鉄分の層と地形が深く関わり合ってできた鉱物です。
阿蘇山から流れてくる水脈は土中のミネラル成分や鉄分の多い層を経由することで鉄分をより吸収し、湧き水や川となり外に流れ出ていきました。リモナイトが採掘できる一帯は平坦な地形のため、水の流れが遅くなっています。鉄分が酸化沈澱する時間が十分にあったために海へ流れることなく、多くのリモナイトが堆積し産出されています。
鉄分の層
地球最深部である内核の成分のほとんどは鉄と言われています。
地球内部から上がってくるマグマの通り道は枝分かれして一帯に分布しています。その枝分かれした先が赤水周辺にあるとも言われており、地球内部からの豊富な鉄分が溶出してリモナイトの層になっています。
鉄バクテリアの働き
リモナイトの生成には、もう1つ鉄バクテリアの働きが関係しています。鉄バクテリアとは二価の鉄イオンを酸化させる働きがある細菌です。リモナイトの土壌にも存在しており、掘った土壌に水がたまると膜を張り活発に動き始めます。酸化する際のエネルギーを得て生活している微生物であり、2価鉄を3価鉄に変化させ、水面に油のような被膜と褐色の沈殿物を発生させます。被膜は油のニオイはせず、触ると割れる性質があります。この沈殿物が堆積してリモナイトを作っています。
小池良洋. “油膜と鉄バクテリアの判別方法”. https://www.chuden.co.jp/resource/seicho_kaihatsu/kaihatsu/kai_library/news/news_2020/news_143_09.pdf ,
京都市青年科学センター. “鉄バクテリア”. http://www.edu.city.kyoto.jp/science/online/story/26/index.html ,
阿蘇火山の構造
西日本を横断する日本でも第1級の断層を中央構造線と呼びます。九州では大分県の臼杵から始まり、阿蘇周辺は火山噴出物や活火山に厚く覆われており確認することはできませんが、阿蘇の南方から熊本県八代市まで通っていると考えられています。(臼杵-八代構造線)他にも平行した構造線、構造帯や火山の並びが複雑に関わり合っており、阿蘇火山をはじめとした一帯は成り立ちを考える上で重要な地域になります。
渡辺一徳. 「阿蘇火山の生い立ち」, 2001, p20-p27 ,
阿蘇町. 「阿蘇町史第一巻通史編」, 2004, p7-p9 ,
波野村. 「波野村史」, 1998, p4-p5 ,
地震調査研究推進本部 事務局. “九州地域の活断層の長期評価(第一版) 概要”. https://www.jishin.go.jp/main/chousa/13feb_chi_kyushu/kyushu_gaiyo.pdf, 2013 ,
地層
表面から3~10m程度にリモナイトは堆積しています。
水気が多く、掘ったところから直ぐに水があふれだし一帯は水たまりになります。そして酸化沈澱を繰り返しリモナイトが堆積します。酸化する前である2価鉄の黒緑色の層や硫黄である黄色の層など場所によって様々な層があります。
阿蘇谷には地質調査やボーリング調査により、カルデラ内にて湖が少なくとも3回出現したと考えられており、古いものから古阿蘇湖、久木野湖、阿蘇谷湖と呼ばれています。数千年前ごろまで存在していたとされる阿蘇谷湖があった阿蘇谷表層部には火山灰や火山礫などを母材とした砂や泥の堆積物が存在し、その部分には湖水性である葦の化石もあることから水辺での環境の中で堆積したと考えられます。
火口湖の存在
戦時中、鉄鉱石を採掘していた際に船のかいと木ぐわが出土した記録があります。また、昭和62年に船の一部と思われるものが見つかったことや沼鉄鉱層などに葦といった湖水性の堆積物が存在していることから火口湖の存在が裏付けられています。
渡辺一徳. 「阿蘇火山の生い立ち」, 2001, p66-p86,p117-p121 ,
阿蘇町. 「阿蘇町史第一巻通史編」, 2004, p22 ,
松本幡郎,藤本芳男. 「阿蘇カルデラ内の注目すべきボーリング結果について」, 1969 ,
土壌
日本の土壌は酸性土壌が多く、阿蘇の土壌も酸性土壌となっています。多雨な日本は土壌内のカルシウムやマグネシウムといったアルカリ分が雨により流れ出すことで酸性化します。一般的な土壌のpHは6~7であり、弱酸性から中性ですが、リモナイトの土壌はpHはおよそ3~4で更に酸性となっています。
リモナイトの歴史
阿蘇の神話と伝説
古事記によると初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)の孫に健磐龍命(たけいわたつのみこと)という神様がいました。神武天皇は健磐龍命に九州の地を治めるように命じ、健磐龍命は京都の宇治から宮崎に行きつきました。神武天皇の誕生の地でもある宮崎では、祖父のご遺徳をたたえるために鎮祭したことが始まりにより宮崎神宮が創建されました。
その後に高森町草部にたどり着き、日子八井命(ひこやいのみこと)の娘である阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)と結婚します。
次に阿蘇へ移りましたが、その頃のカルデラ内は湖であり、田畑を作りたかった健磐龍命は湖の水を排水するために外輪山を蹴破ろうとしました。しかし峠が2重になっていたため蹴破れず、尻餅をつき「立てんの」と言いました。このことから地名を”立野”と”二重峠”と言われるようになったそうです。また、往生岳から石を的にして弓を射たことから”的石”と呼ばれるようになりました。他にも阿蘇都媛命との間の子どもが生まれた土地を”産山”と呼び、蹴とばした土塊(つちくれ)が落ちたことから近くの菊陽町では津久礼(つくれ)と言う地名も生まれたそうです。
そして湖には大きな鯰が主として住んでいましたが、水と共に流れていきました。鯰が流れ着いた所が鯰村(上益城郡嘉島町鯰)と言われようになり、村人が片付けた鯰は六荷程にも及んだことから、そこの部落は六嘉村(上益城郡嘉島町六嘉)と呼ばれるようになったそうです。
現代でも阿蘇神社の社家の人たちは鯰を食べないとされており、県内の神社でも鯰の石像が祀られていたりと少なからず関係があるかもしれません。
健磐龍命と阿蘇都媛命の子どもの速瓶玉命(はやみかたまのみこと)は初代阿蘇国造となり、勅を受けて阿蘇神社を創建されたと伝えられています。そして速瓶玉命の子孫である阿蘇氏が阿蘇大宮司を世襲しました。阿蘇大宮司家は神様の子孫として神代から現代に続く系譜を持つとされる家系です。
神話から神様の子孫と言われる阿蘇神社から神話までと脈々と現代まで受け継がれてきた阿蘇の歴史は、阿蘇一帯をはじめ県内随所で見られます。興味がある方はぜひ調べてみて下さい。
宮川進, 一の宮町教育委員会, 「阿蘇の神話と民話 阿蘇ん話Ⅰ」, 1986, p3-4,p8-9 ,
高橋佳也, 一の宮町教育委員会, 「阿蘇の神話と伝説 阿蘇ん話Ⅲ」, 1993, p3-13,p26-p29 ,
阿蘇神社, 「肥後一の宮町 阿蘇神社」, 2006, p12-p13,p95-p99 ,
阿蘇郡, 「阿蘇郡史」, 19??, p558-p560 ,
熊本日日新聞編集局. 熊本日日新聞社, 「地域学シリーズ① 新・阿蘇学」, 1987, p41-p43 ,
宮崎神宮. “神武さん参り”, 宮崎神宮ホームページ, https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/33/ ,
邪馬台国の九州説と阿蘇黄土(リモナイト)の歴史
卑弥呼が愛した土
その昔「阿蘇黄土(リモナイト)」の魅力に魅せられた女性がいたといわれています。邪馬台国の女王・卑弥呼です。卑弥呼から魏へ献上品のひとつとして「丹」を贈っていたと魏志倭人伝に記されています。
丹は倭国の人々に献上品や呪術の儀式、日常の装飾などに幅広く用いられており、魏では不老不死の秘薬として丹を珍重し活用していたと考えられています。この丹が、阿蘇黄土(リモナイト)を焼成した際にできる鉄丹が弁柄(ベンガラ)という説が有力だと言われています。
昭和54年阿蘇町中通古墳群一帯で実施された圃場整備中に大量の弁柄が流出し、近くの水路が真っ赤に染まっているのが見つかりました。同年には北外輪山の御塚横穴群から隙間なく弁柄で塗り込まれた石室が発見されました。
更に昭和58年阿蘇町乙姫下山西遺跡の弥生時代石棺からも大量の弁柄が発見されました。
リモナイトが大量に産出され弁柄が作成できることから邪馬台国九州説の一端として語り継がれています。
《魏志倭人伝・抜粋文》
其四年 倭王復遺使大夫伊聲耆 掖邪狗等八人 上獻生口 倭錦 絳青縑 緜衣 帛布 丹 木拊 短弓矢
其四年、倭王、 複た使大夫伊声者・邪狗等八人を遣わし、生口、 後、青兼、豚衣、帛布、丹、木付、短弓矢を上献す。
其山有丹、其木有柟・杼・櫲樟・楺・櫪・投橿・烏號・楓香、其竹篠・簳・桃支。有薑・橘・椒・蘘荷、不知以爲滋味。
其の山に丹有り。 その木には柟、杼、櫲樟、楺、櫪、投橿、烏号、楓香あり。 其の竹には、篠、簳、桃支、薑、橘、椒、蘘荷あるも、以て滋味となすを知らず。
島津義昭,高谷和生. “下山西遺跡”. 奈良文化財研究所. 全国遺跡報告総覧. 熊本県教育委員会, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16382 ,
緒方 徹,村上 恭通,杉井 健,木村 龍生,宮本 利邦,池浦 秀隆. “中通古墳を考える”. 奈良文化財研究所. 全国遺跡報告総覧, 阿蘇市教育委員会, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/115207 ,
東亜古代史研究所 塚田敬章. “魏志倭人伝”. 古代史レポート. http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm ,
熊本日日新聞編集局. 熊本日日新聞社, 「地域学シリーズ① 新・阿蘇学」, 1987, p47-p49 ,
鉄器と遺跡
弥生時代の鉄器の出土数は九州が抜きん出ており、約1700点出土で全国の過半数を占めています。
阿蘇市狩尾地区にあった狩尾遺跡群からは堅穴式住居が約130基、鉄器は約300点出土しています。弥生時代後期の遺跡にしては鉄器を多く出土していることから、昔から鉄に関わりが深いことがわかります。廃棄された状況での出土も多く、ここでは貴重品でもなく再利用もしないありふれた品物ということが予想できます。
弥生時代当初は鉄を輸入していたとされており、弥生時代の遺跡から出土する鉄器、ないしその鉄素材がすべて輸入品であったとは考えにくく、褐鉄鉱でも鉄素材の原料としてここでは使われていたことも十分考えられます。
川越哲志. 「弥生時代の鉄器文化」, 雄山閣出版, 1993 ,
寺沢薫. 「日本の歴史02 王権誕生」, 講談社, 2000, p213-p216 ,
菊池秀夫. 「邪馬台国と狗奴国と鉄」, 彩流社, 2010, p92-99,p134-p137 ,
熊本日日新聞編集局. 熊本日日新聞社, 「地域学シリーズ① 新・阿蘇学」, 1987, p49-p53 ,
木﨑康弘,島津義昭,藏座浩一,古城史雄,吉田正一,本山千絵,北川賢次郎. ”狩尾遺跡群”. 奈良文化財研究所. 全国遺跡報告総覧. 熊本県教育委員会, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/15863 ,
ガス吸着剤や畜産飼料といった、リモナイトの研究資料を分野ごとに紹介しています。
リモナイトの研究データを詳しく知りたい方はこちら。